「なぜ山に登るのか?」登山会では有名な言葉ですね。
そんな問いに答えられる程、僕は登山をやり込んでいる訳ではないので、ただ単純に「僕が登山を続けている理由」に付いてお話したいと思います。
▼関連記事
僕が山に登る理由「これがあるから登山は辞めれらない」
理由1:絶景が広がっている
なぜ?それは「山の上には、絶景が広がっているから」
山は苦しいです。その辛さというと、途中で全てを投げ捨てて、辞めてしまいたくなるほとです。
それでも、登って登って登り続けると、その先には信じられない程の絶景が広がっています。
「わざわざ苦労して歩かなくても、ドライブやロープウェイでも景色を見に行けるじゃないか」
という意見もあると思いますが、
「ドライブで見る景色」と「登山で見る景色とでは、
例え同じ場所の景色でも、目に映る(感じる)景色は全くの別物なのです。
勿論、山頂から毎回絶景を拝めるわけではありません。雨が降っていたりガスが湧いていたりすると、視界ゼロという時も多いです。
しかし、山の中で感動する場面は、山頂からの景色だけではありません。
綺麗な沢だったり...
急峻な岩尾根道だったり...
深緑の木漏れ日だったり...
雪を纏った山々だったり...
日常では味わえない体験が山の中にはあります。
あの絶景を見たら、山の虜になってしまいます。
理由2:登頂=成長の証
山に登るからには、山頂に立つのが一番の目的ですので、山頂に立てた瞬間は物凄く嬉しいです。
しかし、一番嬉しいのは、努力してきた事が報われて成長を感じられた瞬間です。
登山をやっていると「次はあの山に登りたい」と目標ができますが、その目標を達成する為には努力が必要です。
- 目標を決めて、
- トレーニングをして、
- プレ山行を実施して、
- 目標の山に挑戦する。
目標が大きければ達成までに数年を要することもありますし、時には上手くいかずに躓くこともあります。
だからこそ、困難を乗り越えて登頂した時は、それまでの努力した過程を含めての登頂の想い出となるので、「成長の証」として心に刻まれます。
理由3:全ては自分次第
山の中に入れば、あるのは「自分(+相方)」と「自然」のみ。
山の中では、常に選択を迫られます。
-
急登の連続に、足が悲鳴を上げている…帰りたい
-
ザックが重い...嫌になってきた
-
延々と続く深いラッセル...心が折れそうだ
進むのか?それとも諦めるのか。
頑張っても誰にも誉められませんし、諦めて帰っても誰にも責められることもありません。
そして、もっと重要な決断を迫られることもあります。
-
目の前の難所が自分達で超えられるのか...
-
悪天候の兆しが見えている、しかし山頂も目の前だ....
-
右も左も分からないホワイトアウトの中、進むのか、その場に留まるのか
このまま進んで無事に帰って来れるのか?
山頂に立ち無事に降りて来れるかは、全て自分自身の判断に委ねられます。
私は、この「自分次第」なところがたまらなく好きです。
まとめ
山の中に入れば、あるのは「自分と相方」と「自然」のみ。
急登の連続に脹脛は破裂寸前、「ザックを捨てて今すぐにでも帰りたい」
諦めて帰っても別に誰にも責められないし、進むも戻るも、自分次第。
そもそも、苦しい思いをして登った所で誰にも誉められるものでもない。
ただ単純に自分が満足するだけ。
そう、登山は究極の自己満足の世界です。
そもそも、趣味なんて自己満足の世界なんですよね。
「自分が楽しいと感じるから山に登るんです。
しかし、他の趣味と違い万が一の時には多くの方に迷惑を掛けることになるので、「絶対に事故を起こさない覚悟」でこれからも安全登山を続けていきたいと思います。